|『正信偈』学習会|仏教入門講座
必至無量光明土 諸有衆生皆普化 令和元年6月18日(火)
- 2019年10月16日
 「無量光明土」とありますが、まず「光明」について親鸞聖人は『涅槃経』からの引用で次のようにおっしゃっています。

 光明は不羸劣に名づく。不羸劣とは、名づけて如来と曰う。また光明は名づけて智慧とす。

 まず「光明」は「不羸劣」であると言います。「羸」は「疲れてぐったりする」とか「力が萎えて衰える」という意味ですが「「羸劣」という言葉は『仏説観無量寿経』にも出ています。韋提希夫人が釈尊に「阿弥陀の浄土を見る方法を教えてください」と頼んだ時に、釈尊は「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣にして未だ天眼を得ず、遠く観ることあたわず」と答えているのです。ですから「不羸劣」とは「天眼」を得ているということです。そしてこの「天眼」を得ているということが「如来」であるというのです。さらに「光明」とは「智慧」であると続けています。つまり「天眼」を得るということが「智慧」を得るということであると、親鸞聖人は『涅槃経』を引用して明らかにしているのです。以前にも述べましたが「天眼」は『仏説無量寿経』の本願文で次のように説かれています。

 たとい我、仏を得んに、国の中の人天、天眼を得ずして、下、百千億那由他の諸仏の国を見ざるに至らば、正覚を取らじ。

 つまり「天眼」とは「諸仏の国を見る」ということです。
 さらに、親鸞聖人は阿弥陀仏の浄土のことを「無量光明土」とおっしゃっていますが、この呼び方はけっして一般的なものではありません。浄土をこの呼び方で呼んでいるのは『無量清浄平等覚経』です。この一文を親鸞聖人は『教行信証』に引用しています。

 速疾に超えて、すなわち安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて、無数の仏を供養す。

 この引文の次に『不空羂索神変真言経』からの引文を続けています。

 汝当生の処は、これ阿弥陀仏の清浄報土なり。蓮華よく化生して、常に諸仏を見たてまつる。

 このことから、親鸞聖人は「無量光明土」を「無数の仏を供養」できるところとして、また「常に諸仏を見」ることが出来るところとして明らかにしようとしていらっしゃることがわかります。
 伝統的な浄土理解では、浄土に生まれたものは、この世に再び生まれ返り、一切の衆生を教化するとしています。実際、曇鸞大士は『浄土論註』で次のように述べています。

「還相」とはかの土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に廻入して、一切衆生を教化して、共に仏道に向かわしむるなり。 

 この解釈で今回の一文を読むと「必ず無量光明土に至って、後に諸有の衆生を普く教化する」となります。しかし、親鸞聖人はこのようには理解していません。浄土は一切の衆生を教化できるようになるところではなく、一切の衆生を諸仏としてみることが出来るようになるところであると、経文から読み解いていらっしゃるのです。親鸞聖人が『仏説無量寿経』で「光明無量の願成就文」としているのが「無量寿仏の光明顕赫にして、十方諸仏の国土を照耀して、聞こえざることなし。」という経文です。「天眼」が諸仏を照らし輝かせるというのですが「聞こえざることなし」とあります。照らすのであれは「見えざることなし」と考えますが、そうではありません。では何が聞こえるのかはここに書かれていません。これが書かれているのが『仏説無量寿経』の本願文にある「諸仏称揚の願」です。

 たとい我、仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、我が名を称せずんば、正覚を取らじ。

 これはすべての諸仏が阿弥陀仏の名をたたえているという願文です。つまり「天眼」によって観ることが出来るというのは、諸仏の形としての姿ではなく、阿弥陀仏の功徳を讃嘆している姿なのです。これを念仏といえばそうなのですが、具体的に「南無阿弥陀仏」と口にしているというだけではありません。もしそうであるならば、諸仏とは一部の人にしかならなくなります。自分が凡夫であり、この世界が娑婆であることを教えてくださる方々も諸仏です。これは親鸞聖人が『涅槃経』を引用して、如来が「地獄餓鬼畜生」の姿になって表れてくださるといっていることからもわかります。すべての人を諸仏として照らし出すのが「光明」であり「不羸劣」であり「如来」なのです。
 この様に受け止めることで「必至」の意味も変わってきます。伝統的な了解ですと「死後に必ず至る」となりますが、これは自分では確かめようのないことです。しかし親鸞聖人は死後ではなく念仏の教えに出会うことが出来たものは「現に必ず至ることが出来た」と自分で証明できた事実を述べていることになります。ですから「諸有衆生皆普化」の意味も「諸有の衆生が皆普く諸仏を観ることが出来る者と化した」となります。「諸有」とは「諸々の煩悩を持つもの」ですから凡夫のことです。『不空羂索神変真言経』は密教の経典ですが、ここに説かれているように「蓮華よく化生して、常に諸仏を見たてまつる」ことが出来るのが「阿弥陀仏の清浄報土」なのです。世界中全ての人を、自分が凡夫であることを教えてくれる諸仏として見ることが出来る教えが親鸞聖人の浄土真宗です。






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