|『正信偈』学習会|仏教入門講座
能發一念喜愛心 不斷煩惱得涅槃     平成27年2月17日(火)
- 2015年3月5日
   能く一念喜愛の心を発すれば 煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり


 この一文からは、親鸞聖人が信心をどのように推考していったのかが伺われます。
 これは、親鸞聖人が名前の「鸞」の字を頂いた、中国南北朝時代の僧で中国浄土教の開祖とされる曇鸞大師が著された『浄土論註』の中にある

 凡夫人の煩悩成就せる有りて、亦彼の浄土に生ずることを得れば、三界の繫業畢竟じて牽かず。即ち、煩悩を断ぜずして涅槃分を得。

という文を、親鸞聖人が受け止めたものです。仏教で「凡夫」とは、「煩悩が成就した人」のことです。曇鸞大師はそのような「凡夫」でも、浄土に生まれるならば煩悩を断つことなく涅槃分を得ることが出来ると言っています。お釈迦様の頃の仏教では、煩悩の炎が消え去って、心が穏やかな状態が永遠に続くことを涅槃といいました。どのような状況でも、素直に、無条件でその事実を受け止められるということです。そうすると、迷いである煩悩を断つことなく涅槃という状態になることは有り得ません。では曇鸞大師の言う「涅槃分」とはどういう意味なのでしょう。「涅槃の一分」とも「涅槃のようなもの」とも受け取れますが、曇鸞大師はこの内容を語ってはいません。これを親鸞聖人が「喜愛心」という言葉で受け止めたのです。煩悩を断つことなく涅槃分を得るということは「喜愛心」が起こったということである、ということです。
 『無量寿如来会』というお経の中に、念仏の信心を「よく一念淨信を発して歓喜せしめ、所有の善根回向したまえるを愛楽して」と示してあります。「歓喜」は「よろこぶ」です。「愛」は仏教ではあまり良い意味では使われませんが、ここでは「敬愛する」「愛しむ」という意味に、「楽」は「らく」と読むと「たのしい」という意味になりますが、ここでは「ぎょう」と読んで「信じる」という意味になります。そして「愛楽」で「敬い信じる」「愛しみ信じる」となります。ここから、念仏の信心を「歓喜愛楽」と表します。「喜愛心」はこの中2つの文字を抜いたものであるとも受け取れます。
 初期の仏教では、「信」は迷いとされていました。たとえ、お釈迦様の言葉でも、無条件に信じてはいけないのです。自身の中で頷きがあり、実証されて初めて「さとり」なのです。ところが、大乗仏教になると「信心」が出てきます。この時に従来の「信」を区別して「信仰」といいました。「信仰」というのは「仰いで信じる」のですから、自分よりも格上の神様などに対して頭を下げて忠誠を誓うことになります。これに対して「信心」は「心を信じる」のです。自らの心の内を信ずるのであって、自分の外のものを信じるのではありません。
 信じる事の内容が「歓喜」と「愛楽」です。「信心歓喜」といいますが、これは「仏様におすがりしたらよろこびが溢れてくる」というものではありません。これでは「信仰」になってしまします。「仏教の教えによって、信じる心が芽生えてきた」ということです。そこには「歓喜」があるのです。それが自分であれ、他人であれ、世間であれ、信じることが出来るということはそれだけで「うれしい」ことなのです。信じたらいいことがあるのではなく、信じることが出来たことが「うれしい」ことなのです。逆に言えば、すべてのことが信じられなくなることが、不幸なことです。そして「愛しむ」ことができるのも、そこに「信じる」ことが不可欠です。この「信じる」対象を「一切衆生」と語りかけているのが阿弥陀如来です。そしてその社会が「極楽浄土」です。「浄土の教え」は初期仏教が否定した「信」をこのような「信心」としてよみがえらせたのです。
 もう一つ、中国語には「喜愛」という言葉が、仏教とは関係なくあるのです。それは「好き」と言う意味です。このことを親鸞聖人もご存知であったと思います。親鸞聖人の時代は、源平の合戦の最中です。親鸞聖人自身も平氏と朝廷の争いに巻き込まれて、親元を離れざるをえなかったとも言われています。殺し合い、裏切り合う中で青年期を送り、ようやく生涯の師とめぐり合えたと思ったら、今度は越後への流罪です。これも人の憎悪や妬みによって起こっています。そのような中で、親鸞聖人が出偶われたのが「一切の衆生が幸福にならなければ、私は仏にならない」という「浄土の教え」でした。当時も高僧といわれる僧侶は少なからずいました。しかしその多くは、評論家のように周りを眺めるだけで、自らが苦しむ人たちの中に入っていこうとはせず、理屈を並べて自己保身するばかりだったのです。その中で、比叡山での安定した暮らしを捨てて、日々の生活にも困っている人々の中に身を投じたのが法然上人でした。怒りや憎しみが溢れている世の中で「みんなのことが大好きです」と生きていることを喜んでいらっしゃるその姿に、親鸞聖人は生きる目的を頂いたのです。どんなに難しい学問を学ぶことよりも「みんなが好きです」と言えれば、きっと幸せになる。人から好きになってもらう必要は無いのです。自分が相手を好きになれるかどうかなのです。皆が自分の事をどのように思っていようとも、私あなたの事を好きですと言えるようになれば、これが一番幸せな状態ではないだろうかと考えられたのかもしれません。
 ところが、親鸞聖人自身が晩年、この部分を説明している文章が残っているのですが、内容を変えているのです。それは次のような『尊号銘文』の一文です。

 「能發一念喜愛心」というは、能はよくという、発はおこすという、ひらくという。一念喜愛心は、一念慶喜の真実信心よくひらけ、かならず本願の実報土にうまるとしるべし。「不斷煩惱得涅槃」というは、不断煩悩は、煩悩をたちすてずしてという。得涅槃ともうすは、無上大涅槃をさとるをうるとしるべし。

 これだと最初から「能開一念慶喜心」とすればよかったのではないかと思われます。「発」を「ひらく」と読むのは無理がありますし、さらにこの文の途中で、さらに「ひらけ」に変えています。
 「一念発起(いちねんほっき)」という言葉が『歎異抄』にあるのですが、これは「念仏もうさんとおもいたつこころのおこる」ときで「信心をたまわ」る瞬間であると、やはり『歎異抄』にあります。『正信偈』にこの「発」を使ってあるのも、これと同じ意味であると思われます。いずれもまだ親鸞聖人が若かった頃のものです。ところが、晩年になって、自分の書いた『正信偈』を見直してみると、「信心」の持つ意味が変わってきたのでしょう。「おこる」ものではなく「ひらかれる」ものであるという変化です。最初は、法然上人から頂いた仏教によって自分の中で何かが大きく変わっていった体験を「発起」という言葉で語ったのです。それが、周囲や教えに育てられて徐々に自分の視界がひらけていく中で、驚きが喜びに変わっていったのです。
 さらに、「喜愛心」ではなくて「慶喜心」となります。愛しむがごとくに喜ぶ心から、慶って喜ぶ心に変わったということです。親鸞聖人ほど学識の高い方ですから、若い時は悪意がなくても周囲をどこか上からみてしまったとしてもおかしくはありません。それが歳を重ねると誰かの助けがなければ日々の生活すらままならなくなってきます。そこで初めて、理屈ではなく実感として生かされていることに頷くことができるのです。素直に心から周りの人たちすべてに頭を下げることができるようになったのです。これが「喜愛心」から「慶喜心」への変化です。親鸞聖人が90歳まで生きていただけたのは実に有り難いことです。この、すべてのことを有り難いと喜べるようになった事こそが「涅槃」だと言うのです。お釈迦様の頃の「涅槃」とは違い、煩悩は無くならないのです。しかし、自分のような者が周りに感謝出来るようになったのは、仏の教えのおかげであり、穏やかな心で日々に幸福を感じることができているのですから、内実は「涅槃」と同じであるということです。煩悩を全部無くして穏やかになるという道も有るでしょうけれども、自分が皆の事を慶い穏やかな心になるという道も有るということです。ですから、曇鸞大師が付けていた「分」を、親鸞聖人は取ってしまいます。
 仏教は、仏になるための教えです。それは「涅槃」という状態になることです。そのためには煩悩をすべて断つ必要があると考えられていました。それを「浄土の教え」では、すべての生きとし生ける者を慶うことによってかなえられると進化させたのです。ですから「浄土の教え」を聞いていく事によって、今までちょっと引いていた人とも少しは心が通うようになり、少しは自分もいい笑顔を向けるようになるならば、それが教えの功徳です。そういう歩みを浄土真宗という形で親鸞聖人は受け止めているのです。今回は『正信偈』からこのことについてお話しさせて頂きました。






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