|『正信偈』学習会|仏教入門講座
凡聖逆謗斉回入 平成27年4月22日(水)
- 2015年5月5日
         凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば
 

 親鸞聖人はこの部分を、次のように解説なさっています。

「凡聖逆謗斉回入」というは、小聖・凡夫・五逆・謗法・無戎・闡提みな回心して、真実信心海に帰入しぬれば」(『尊号真像銘文』)

 「凡」は凡夫のことです。聖徳太子は「十七条憲法」の十条で

「我必ず聖に非ず、彼必ず愚に非ず。共に是れ凡夫ならくのみ」

と、凡夫を「平凡な人」と捉えていますが、親鸞聖人は

 「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず、と水火二河のたとへにあらわれたり」(『一念多念文意』)

と、生きている限り煩悩がその身に満ちて消えることのない者と捉えています。
 「逆」は五逆です。五逆には小乗と大乗の二通りが伝えられていますが、浄土教では小乗の五逆を用います。十悪より重い罪とされ、
1、 ことさらに思いて父を殺す。
2、 ことさらに思いて母を殺す。
3、ことさらに思いて阿羅漢を殺す。
4、倒見して和合僧を破す。
5、悪心をもって仏身より血を出だす。
の五つです。
 「謗」は誹謗正法です。正法とは仏教ですから、仏教を誹謗するということで、五逆よりも重い罪になります。
 そして「聖」ですが、親鸞聖人はこれを「小聖」と言われます。「小聖」とは小乗の聖人という意味です。親鸞聖人が「誰でも」という意味で「凡聖逆謗」と言うのであれば、小乗に限定する必要はありません。逆に大乗の聖人が含まれなくなってしまいます。あえて小乗の聖人とおっしゃるのは、この一文が『仏説観無量寿経』の物語を念頭に置いて書かれているためではないかと言われています。この経典の序文には、お釈迦様の時代にマカダという国で起こったと伝えられている親殺し事件を題材にした物語が置かれています。「王舎城の悲劇」といわれるこの物語の登場人物で、わが子によって餓死させられるビンバシャラ王が「小聖」、父を殺すアジャセが「逆」、アジャセをそそのかしたダイバダッタが「謗」、そして、ビンバシャラ王の后イダイケ夫人が「凡」になります。この経典の中でお釈迦様がイダイケ夫人を「汝はこれ凡夫なり」とおっしゃっているのです。浄土教では、そのイダイケ夫人のためにこの経典が説かれていると受け止めています。経典は出家者のために書かれているというのが一般的な理解ですが、この『仏説観無量寿経』だけは凡夫のために書かれた経典とされています。ですから、順番でいえば「聖凡逆謗」となるところを、親鸞聖人は「凡」を頭にして「凡聖逆謗」とおっしゃったのでしょう。
 ただし、この『仏説観無量寿経』で念仏によって浄土に往生できると説かれているのは「五逆・十悪」までで「謗」は含まれていません。『仏説観無量寿経』よりも前の時代に書かれた浄土経典の『仏説無量寿経』では「唯除五逆、誹謗正法」と「五逆」も念仏の救済対象に含まれていないのです。これが善導大師の時代になって、『仏説無量寿経』に書かれている「唯除五逆、誹謗正法」は「抑止文(おくしもん)」とされ、往生はできるのですが、罪の重さを知らせるためにあえて書かれているものとして解釈されます。このように、時代と共に徐々に救われる対象が広がっていきました。
 さらに『尊号真像銘文』で親鸞聖人は、ここに無戎・闡提を加えています。一般には、戎を受けて出家した「持戒」僧、出家はしたものの戎を破った「破戒」僧に対して、そもそも最初から受戒していない形だけの僧侶を「無戎」または「名字」の僧と呼びます。いうならば偽物の僧侶ということですが、これが誹謗正法より罪が重いといわれても疑問が残ります。そのような者に対して親鸞聖人には特別の思いがあったのかもしれません。当時僧侶でもない者が怪しげな教えを仏教であるかのように広げていたとも思われます。このような異端とされる仏教者の教えは、蓮如上人の頃も各地に仏教と混然として伝わっており、その流れは現在にまで至っています。これとは別に、造悪無碍と呼ばれる、好んで悪をなす念仏者もいました。親鸞聖人の門弟にもこの様な人たちがいた事は『歎異抄』に書かれています。彼らは、あえて世間のルールを無視することを良とする仏教者ですから、「戎の無い仏教者」と言えなくもありません。親鸞聖人は「破戒」僧です。そして、自らを凡夫と名乗っておられますが、戎を破ることや良き者としていられないことに傷みを感じていないわけではありません。「罪悪深重の凡夫」と言うところには深い罪の意識があるのです。いずれにしても、仏教者を名乗りながら、仏教では無いものを勧めるということは、それだけ罪が重いということなのでしょう。
 「闡提」は「一闡提」ともいい、多くの仏典で「断善根」、「信不具足」と訳される、生まれながらにして仏となる可能性の全く無い者のことです。『大般涅槃経』一切大衆所問品には「もし僧侶や信徒が教えを誹謗中傷しながら悔いることなく、心に懺悔を持たず、四重禁を犯し五逆罪を作ってもこれを全く恐れず、嘘ばかり吐いて周囲を惑わし、悪に染まった心を立て替えず、仏法を信じないばかりかこれを公然と言うものを一闡提という」とありますから、何が悪であるのかさえ理解できない者のことのようです。
『仏説観無量寿経』の登場人物には無戎も闡提もいません。ですから『正信偈』の文には無戎と闡提は書かれていないのですが、あえて親鸞聖人が『尊号真像銘文』では書き加えているのです。闡提が救われるかという問題は、同じく『大般涅槃経』に説かれている「一切衆生悉有仏性」(一切の生けるものはことごとく仏と成ることができる性質がある)との整合性から、中国や日本の仏教会で議論されていました。『教行信証』でも親鸞聖人は取り上げていますが、実際に多くの人々と交わる中で、本当にすべての者が救われるのかという問題が切実なものとなっていったのでしょう。
 普通で考えれば救いようのない存在である、仏教ではない教えを偽って勧める者や、何が悪であるのかさえわからない者までもが救くわれると親鸞聖人が頷かれた世界が「真実信心海」です。『教行信証』の「化身土巻」に『仏説阿弥陀経』の中で、お釈迦様が「私が阿弥陀如来の不可思議なる功徳を讃歎しているように、恒河沙数(ガンジス川の砂の数)ほどのすべての仏たちも、阿弥陀如来の教えを説いていらっしゃいます」とあることをうけて、親鸞聖人は「これすなわち不可思議の願海を光闡して、無碍の大信心海に帰せしめんと欲す。良に勧めすでに恒沙の勧めなれば、信もまた恒沙の信なり。」と述べておられます。
 もともとは、救われるために努力が必要とされたのです。悪を成さないようにして、心が煩悩にとらわれない為の修行をして初めて救われるのです。しかしこれでは、ほとんどの人は救われないことになってしまいます。どのようにすれば、少しでも多くの人が救われるのだろうと、真剣に考えるのが仏です。阿弥陀如来はこのことを五劫の間考え抜いたと言われますが、これは数え切れないほど多くの人たちが悩んできた歴史です。お釈迦様が生まれられてから二千六百年、それ以前の人類の歴史を含めると数十万年の間、恒沙ほどの数の人達が悩み考え続けてきた智慧の蓄積が大信海です。そして、最も救いから遠い存在の闡提さえも救われる智慧によって「一切衆生」が救われると初めていえるのです。実際には、一人の僧侶や宗教家が、目の前の一人を何とか救いたいと真剣に悩み抜いた結果が一滴の智慧となり、それが溜まって海となったのです。目的は一つです。それを親鸞聖人は「恒沙の信」といったのです。どんな人でもしあわせになって欲しいという願いが実を結んだ時、それは「恒沙の勧め」となります。対立など起こるはずはありません。真の宗教の間には、讃歎があるだけで非難はあり得ないのです。お釈迦様から始まった仏教が、親鸞聖人のところでとりあえず完成したのです。
 もちろんこれで終わりではありません。現実にはすべての人が救われているとはとても言えないからです。今でも、一人一人の方々と向き合って、共に悩んでいくのです。今自分が悩み苦しんでいることが、どれほど深く大きなものであったとしても、長い歴史の中で同じような悩みを持った人が一人もいなかったとは思えません。ですから、必ず参考になる智慧があります。ただし、全く同じものは無いのです。今自分が体験しているすべてのことが宝物です。先人達から頂いた智慧を頼りに共に悩み、そこから生まれた智慧を次の時代に手渡して、また歴史を築いていく。これが「回入」です。私の言う通りにしたら救われるというのではないのです。共に悩み考えるということです。親鸞聖人がこのような歴史から生まれた言葉として「凡聖逆謗齊廻入」とおっしゃっているのでしょう。
 次回はこの続きで、もう少し具体的なお話になっていきます。






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