|『正信偈』学習会|仏教入門講座
即横超截五惡趣2 地獄序 平成28年2月16日(火)
- 2016年4月18日
 五悪趣とは六道といわれる地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天のうち、修羅を除いた五つをいいます。地獄・餓鬼・畜生だけなら三悪趣、地獄・餓鬼・畜生・修羅なら四悪趣となります。今回からは、その中で一番下にあるといわれる地獄についてお話します。地獄は、サンスクリット語でナラカといい、奈落(ならく)とも音写されます。歌舞伎などの舞台でせり上がりに使う縦穴を「奈落」と呼ぶ語源となっています。また、慣用句の「奈落の底」というのも「地獄の底」という意味になります。
 お釈迦様の時代は、雨や風を吹かせる天が天上界にいるように、地下にも世界があると考えていたようです。これが元々の地獄で、この世で罪を犯した者が罰を受けるために落ちる世界ではありませんでした。今では地獄の王といわれる閻魔ですが、インドではヤマという古代から伝えられている神で、ペルシャ神話にも登場します。インド古代神話の『リグ・ヴェーダ』では、ヤマと妹のヤミーが結婚し、その子供が人類だとされていますから、人間の先祖ということになります。最初に死んだ人間となったので、死者の国の王とされます。ただし、その国は地獄ではなく天上界にあり、良いことをした人間だけが死後生まれることのできる世界でした。仏典でも、閻魔の王宮は広大で美しく豪華な例えとして使われています。
 これが時代と共に変化して地獄の主となってきました。そして大乗仏教になると、地獄は重大な罪を犯した者が死後に赴く世界と見なされるようになります。仏教を学ぶということは、お釈迦様のごとくになりたいという願いが原点です。これを菩提心というのですが、多くの人が持つ願いは個人の欲をかなえたいというものですから、仏教は尊敬こそ集めても、社会に広がるということは難しかったのです。大乗仏教とは、すべての人と共に救われようという教えですから、この問題は非常に大きなものでした。そこで、菩提心を抱かない者にも仏道を歩ませる方便として地獄を用いました。自分の欲が自他ともに苦しむ結果を生んでしまうという悪行を、地獄に落ちるという恐怖心によって抑えようとしたのでしょう。ですから、次回から地獄の内容を見ていきますが、地獄に落ちる罪として、当時のインド僧が見て悪行と思われたものが具体的に説かれています。目についた悪行の数だけ地獄が出来たのでしょう。逆に当時のインド僧の想像できなかった悪行は含まれていません。これらの地獄が後に整理されていきますが、もともと決まった基準があって作られたものではないために、それぞれの地獄には整合性がありません。それでも、当時の僧侶たちが考え付く限りの恐ろしい情景は十分な効果があったようです。この地獄の姿はキリスト教にも影響を与えているようで、イタリアのダンテが書いた『神曲』の「地獄編」は仏教の地獄に似ているところがいくつもあります。ただし、キリスト教の地獄が神の力の及ばない悪の世界であるのに対して、仏教の地獄はあくまでも罪を受ける世界でしかありません。
 中国に仏教が伝わるとこの地獄の教えは民衆の間に受け入れられていきます。中国に古来からある道教と結びつき、閻魔は冥界の王とされ、閻魔大王や閻羅王となります。そして、中国で作られた仏教経典『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土教』では閻魔は地獄の裁判官になり、これが日本に伝わります。ですから日本の閻魔大王は中国の役人風衣装を着ています。さらに『地蔵菩薩発心因縁十王経』が作られると、閻魔大王は浄土と極楽を行き来できるという地蔵菩薩と同一視されるようになります。
 日本で地獄の様子が一般に知られるようになるのは、親鸞聖人が七高層にあげておられる源信僧都の『往生要集』によります。これは浄土往生に関する教えを様々な経典から抜粋したもので、その多くの部分を浄土往生に割いているのですが、実際に世間に広まったのは、最初の方に書かれている地獄に関する部分でした。この書が書かれた平安時代は、すでに世界は終わりを迎えつつあるという末法思想が広まっており、来世の浄土を願う教えが貴族を中心に受け入れられていました。この流れに、悪行によって浄土どころか地獄に落ちるかもしれないことを説く『往生要集』は瞬く間に広がっていきました。
 比叡山や高野山には「念仏聖」と呼ばれる僧たちがいました。平安中期の空也上人が知られていますが、この念仏聖とは、山にこもって修行する僧とは違い、街中に出て極楽往生の教えを説きながら寺院維持のための募財を集める僧侶です。高野山の念仏聖(高野聖)が募財を主としていたのに対して、黒谷の念仏聖は比叡山から距離を置いて民衆への布教に力を入れるようになります。そして、平安後期にはこの黒谷から法然上人が出ることになります。
 それまでの浄土教では、念仏を称えても極楽に往生することは庶民には望むことのできないことでした。悪行を全くせずに生きることは、よほど徳の高い者でなければ不可能なことです。財力のある者は、それを打ち消すほどの寄進をすることもできたでしょうが、庶民にはそれもできません。まして、社会の底辺に生きるものは、日々悪行を繰り返すしかなかったのです。後にエタやヒニンと呼ばれる人たちならばなおさらです。地獄に行くことが生まれながらに定められたようなものでした。法然上人は、念仏だけが極楽往生への正しい行であるとして、すべての人たちに極楽往生の可能性を示したのです。これによって、念仏以外の修行を行っていた比叡山とは袂を分かつことになります。法然の弟子である親鸞聖人はこの教えを受け継ぎ、どのような悪行をしても、念仏によって救われるとして、悪行を思いとどまらせるための地獄を拒否しました。これによって、多くの人たちが地獄に落ちるという恐怖から逃れることができたのです。ですから、浄土真宗のお寺には、地獄図やその対となる阿弥陀仏が臨終の時に徳の高い者を迎えに来るという来迎図がほとんどありません。悪行や徳が浄土往生の基準とならないからです。
 次回から、あえて親鸞聖人が否定した地獄を、源信僧都の『往生要集』から読んでいきます。これを読んでいきますと、インドの僧侶たちがいかにして民衆に悪行をさせまいと思っていたかが伝わってきます。これはこれで真剣な思いです。このことは源信僧都にも言えることでしょう。しかしこれは民衆を指導しようとする見方です。親鸞聖人の目の前にいたのは、すでに悪行を行っている者、行わなければ生活できない者だったのです。目の前に苦しんでいる人がいて、悩んでいる人がいて、どうしたらこの人を楽にさせてあげられるかを一生懸命に考えたのが親鸞聖人です。今までに、たとえ人を殺したとしても、盗んだとしても、騙したとしても、南無阿弥陀仏の一言で全部救われるという教えです。これを信じられないということは、阿弥陀如来を疑っていることになるというのです。ですから、こういう悪行をしたら地獄に落ちるという『往生要集』とは全く逆の教えです。地獄に堕ちと人を驚かせて、正しい道に導こうということ自体が、実は危険なことなのです。教えを説いている者に都合のよい教えになってしまうからです。自分に逆らったら地獄に落ちるとか、お金を持って来れば助かるという具合です。ですから、人を怖がらせてしなりあげる宗教は、非常に危険な教えであるといえます。浄土真宗は地獄を説かない代わりに、誰もが浄土往生できるという安心感を与える宗教です。
 この問題は死刑制度とも関係してきます。地獄を説く教えとは、悪いことをしたら死刑になるのでやめなさい、というのと同じです。とはいえ、地獄を説かないということが、悪いことをしてもかまわない、ということではありません。親鸞聖人はこのことを、良い薬があるからといってあえて毒を飲むものではない、と言っておられます。誰かに迷惑をかけた時、そのことに罪の意識を感じることは大切なことです。親鸞聖人の教えでも、罪の自覚ということが要となっています。また、何の罪も受けなくて良いということでもありません。痛みを与えてしまった以上、自らも痛みを受けることは、ある意味当然の結果です。これは、誰かを傷つけてしまったことを悔いるために受ける罪であって、罪を受けることを恐れて誰かを傷つけないということとは違います。悪行は行わない方が良いのです。ただ、わかってはいても、行わなくて済むということではないのです。ですから、どれほど刑を重くしても犯罪が無くなるということはありません。犯罪を減らすには、どれだけ過度のストレスを無くせるかということの方が大切になります。これは、互いに監視し合い、責め合う社会ではありません。互いの欠点を認め合い、許し合う社会です。このために必要なのが、浄土の教えなのです。親鸞聖人のところに来るまでに、仏教は長い思索を重ねてきました。それは時には失敗することもありましたが、それは今があるために必要な失敗でした。その一つが地獄の教えです。しかし、残念なことに今でもこの地獄を説く教えがあります。ですから、あえて『往生要集』を読むことで、かつてどのように地獄が説かれていたのかを知ってほしいと思います。そこに説かれている地獄は、一部の宗教が説いているように、教団にとって都合のよい地獄ではありません。逆に、宗教者の過ちを強く戒めている、いたって真摯な思いで説かれている地獄です。そのような先人たちの思いを伺っていただければ幸いです。






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