|『正信偈』学習会|仏教入門講座
即横超截五惡趣4 地獄2 平成28年5月17日(火)
- 2016年6月12日
3、衆合地獄・・殺生、窃盗、邪淫の罪
 黒縄地獄の下にある地獄です。たくさんの鉄山が向かい合ってそびえています。牛頭馬頭などの獄卒が手に器杖を持って罪人を山の間に追い立てます。すると、両側の山が迫ってきて罪人を押しつぶしてしまいます。身体は砕け散り、流れてきた血で池ができています。
 あるいは空から鉄山が落ちてきて罪人を押しつぶし、その身体は砂粒のように粉々になってしまいます。あるいは、罪人を石の上に座らせて岩で押しつぶします。あるいは、鉄臼に罪人を入れて鉄杵でつきます。これを極悪獄鬼や、熱鉄獅子、虎、狼などの獣や、烏、鷲などの鳥たちが競って来て食らい尽くします。(『瑜伽論』と『大智度論』からの引用です)
 また、鉄炎の嘴をもった鷲が罪人の腸を取り木の頂にかけてついばむのです。
 ここには大きな河があり中には鉄の釘が突き出しており、そこには炎が燃え盛っています。獄卒は罪人をとらえて河に放り投げてこの釘の上に落とします。また川の水は焼け融けた赤銅で、罪人はこの中で漂っています。ある者は日の出の時の太陽のように少し頭を出して、ある者は重い石のように沈んでいます。手を挙げて天に向かって泣き叫ぶ者や、近くにいる者と共に叫んでいる者もいますが、どれだけ長く苦しんでも頼りになるものも救ってくれる者もありません。
 また獄卒は罪人を刀葉林に連れていきます。この林にある木の頂には、綺麗に着飾った美しい女性が見えます。それを見た罪人は木を登りますが、葉が刀のようになっているので、肉は割かれ筋も切れてしまいます。このようにして全身が切り刻まれながらもようやく頂に着くと、そこにいたはずの女性は地面に立っています。そして、罪人を誘うようなまなざしで「あなたのことを想ってせっかく地面に降りてきたのに、なぜあなたは私に近づこうとしないのですか。なぜ私を抱いてくれないのですか。」と言ってきます。この言葉を聞いた罪人は、色欲が燃え盛り木を降り始めます。この時、刀葉は上を向き、その鋭さは剃刀のようです。このため、登ってきた時のように、また身体は切り刻まれます。そうして地上に着くと、女性はまた木の頂にいます。これを見た罪人はまた木を登ります。このようにして、無量百千億年の間、自分の色欲に惑わされて同じことを繰り返すのです。
 このような罪を受けるのは、邪淫が原因です(経典にはもっと詳しく書かれています)。獄卒は罪人に「他人の罪によって誰かがその酬いを受けるということはない。すべては自業自得の結果である。これはいかなる衆生でも同じである。」と叱咤します(『正法念経』からの引用です)。
 人間世界の二百年が六欲天の第三天である夜摩天の一日で、夜摩天の寿命は二千歳です。この天の一生がこの地獄の一日で、この地獄に落ちた罪人の寿命は二千歳です。これを人間世界の年月に直すと百六兆五千八百億年になります。
黒縄地獄に付随する小地獄には次の様なものがあります。
 悪見処は、他人の子供をさらって強姦して泣かせた者が落ちる地獄です。この地獄に落ちた罪人は、獄卒が自分の子供の性器に鉄杖や鉄錐を突き刺したり、鉄釘を打ち付けたりしているのを見せられます。このような自分の子の姿を見た罪人は、愛心悲絶して堪えることができません。この愛心苦に比べれば、自分が焼かれる苦などその十六分の一にも及びません。罪人はこの心の苦を受けた後、身体の苦を受けます。逆さまに吊るされて肛門から融けた銅を入れられ、内臓をすべて焼かれてから口から流れ出てくるのです。このように身体と心の苦を無量百千年休むことなく受け続けます。
 多苦悩処は男と関係をもった男が落ちる地獄です。この地獄に落ちた者は、関係を持っていた相手が炎に包まれているのを見ます。その相手を抱きしめると自分の身体も燃え上がり炭となり粉々になってしまいます。すぐに生まれ変わると恐ろしくなって逃げますが、断崖から落ちてしまいます。そこに炎嘴をもった烏や炎口をもった狐が来て、罪人を食らうのです。
 忍苦処は他人の妻女と関係を持ったものが落ちる地獄です。獄卒が罪人を足から木に吊るし、下から大炎を燃やして全身を焼き尽くします。すぐに生き返り声を上げようとすると、火が口から入り心臓や肺など内臓を焼き尽くすのです(『正法念経』からの引用です)。

解説
 この地獄は、殺生・窃盗に邪淫の罪を重ねた者が落ちるとされています。この地獄には有名な牛頭馬頭(ごずめず)が出てきます。首から上が牛、首らか上が馬という地獄の獄卒です。鬼といわれることもありますが、地獄で罪人に刑を執行するのは鬼ではなく獄卒といいます。この獄卒が、罪の重い地獄になるほど恐ろしい姿になっていきます。鬼は、ここで極悪獄鬼として登場しています。これは獄卒ではなく、獅子や虎、狼などと共に罪人を食らう、地獄に住む生き物です。
 この地獄には有名な「刀葉林」があります。また、小地獄に子供を強姦し殺した者が落ちる「悪見処」や男性同性愛者が落ちる「多苦悩処」、不倫をした者が落ちる「忍苦処」がありますが、いずれも男性だけです。これらの経典が書かれた当時、地獄に落ちるのは男性だけでした。これは、女性が大切にされていたということではなく、社会が男性だけで構成されていたということです。一切の権限を持っていない者は罪を犯すことさえあり得ません。これは、浄土真宗が大切にしている経典の『仏説観無量寿経』をみてもわかります。この経典の主人公である韋提希夫人という王妃は、夫である王に子供を殺せと言われれば殺そうとします。逆らうことさえ許されていません。その代り刑を受けることもありません。もちろん人間ですから感情はあります。しかし自分の行動に責任を感じることはありませんから、責任を取るべき者を批判するだけです。
 この傾向は、イスラームのクルアーンにも見て取れます。日本で地獄図が描かれる頃には女性も地獄に落ちるようになっています。これは女性の社会的地位が高くなったということです。また、男性同性愛に関しても、日本では寛容になっていきます。有名な高僧にも同性愛者は珍しくありません。親鸞聖人の時代には、すでに稚児という少年を高僧の性的相手として寺に置くということが一般的でした。同じく、当時貴族の間で重用されていた白拍子(静御前や亀菊など)が男装で舞ったのに対して、稚児は女装で舞ったといいます。公然と稚児の習慣が広がっていたことは、僧侶の間では地獄を方便としてとらえていたということです。

4、叫喚地獄・・殺生、窃盗、邪淫、飲酒の罪
 衆合地獄の下にある地獄です。この地獄の獄卒頭は黄金色をしており、眼からは火が噴出し、赤土色の衣を纏っています。手足は巨大で、風のように速く走り、恐ろしい声で罪人を委縮させます。その恐ろしさから、罪人たちは頭を地面に叩きつけながら「お願いですから私を憐れんで少しの間でかまいませんから見逃してください。」と哀れみを求めます。しかしこの言葉で、獄卒はさらに怒りを増すのです(『大智度論』からの引用です)。
 あるいは、鉄の棒で罪人の頭を打ちすえたり、熱せられた鉄の上を罪人に走らせたり、熱した鍋の中に罪人を入れて何度も炙ったりするのです。あるいは、熱い釜に罪人を投げ入れて煎じて煮込んだりします。あるいは、燃え盛る炎に包まれた鉄で出来た部屋の中に追い立てたり、あるいは、鉗子で罪人の口を開き、そこに融けた銅を流し込んで内臓を焼きただらして肛門から流し出したりするのです(『瑜伽論』と『大智度論』からの引用です)。
 罪人はこのような目に自分をあわせる閻羅人に恨みを込めて「あなたには慈悲の心というものがないのですか。どうして私をそっとしておいてくれないのですか。私は哀れみをかけられてもおかしくない者です。あなたには慈悲心というものが無いのですか。」と訴えます。すると、閻羅人は罪人に「お前は、愛欲の煩悩に誑かされて悪不善業をなしたから、今この悪業の報いを受けているのである。なぜ私に怒りや恨みを抱くのか。お前は悪業をなし愛欲に誑かされている時になぜ悔い改めなかったのか。今さら悔い改めても取り返しがつくものではない。」と答えるのです(『正法念経』からの引用です)。
 人間世界の四百年が六欲天の第四天である覩率天の一日で、覩率天の寿命は四千歳です。この天の一生がこの地獄の一日で、この地獄に落ちた罪人の寿命は四千歳です。これを人間世界の年月に直すと八百五十二兆六千四百億年になります。
 叫喚地獄に付随する小地獄には次の様なものがあります。
 火末虫は酒に水を混ぜて売った者が落ちる地獄で、風・黄・冷・雑の各々に百一の病があり、それらすべてを合わせた四百四の病に苦しめられます。その一つでさえも、一夜にして世界中に広まり多くの人を死に追いやるほどの力を持っています。また、身体中から虫が湧き出て皮・肉・骨・髄を引きちぎって食らいます。
 雲火霧という、酒を他人に飲ませて酔わせてからかったり、ふざけたりしてもてあそび、辱めた者が落ちる地獄もあります。ここには二百肘(一肘は約五十センチメートル)の高さにまでおよぶ炎が満ちており、獄卒が罪人をこの中に落とします。足から頭に至るまで一瞬にして消え去りますが、そこから引き上げると元に戻ります。これを無量百千年の間繰り返すのです。
 この地獄の獄卒は、罪人に「せっかく仏が法を説かれているのにそれに身を委ねようとせず、世間・出世間の戒めを破り、解脱への道を歩まず、自ら業火に焼かれる道を歩んでしまったのは、すべて酒に惑わされたからなのである。」と説くのです(『正法念経』からの引用です)。

解説
 この地獄は飲酒の罪が加わります。この地獄に登場する閻羅人は、今までの邏卒よりも位が高い地獄の執行人です。なぜ飲酒がここまで重い罪であるのかは、最後に獄卒が述べている言葉からわかります。酒に惑わされると、仏法に耳を傾けなくなり、様々な戒めを守らなくなるというのです。このことから、すでに当時からストレス解消のために酒を飲んでいたこと、酒を飲んだうえでの様々なトラブルが起こっていたことが分かります。
 これが、小地獄になると少し趣が変わります。「火末虫」は酒に水を混ぜて売った者が落ちる地獄です。酒を飲むことではなく、酒を商いにしている者の詐欺になります。日本でも、江戸時代にこのような商いが行われていたことは知られていますが、二千年以上前のインドでもこのようなことが行われていたということです。ただしこれは飲酒の罪ではありませんから、この地獄を編纂した時に酒に関係するものをここにまとめて置いたということでしょう。風・黄・冷・雑というのは、当時のインドで病気を四種類に分けていたということです。
 「雲火霧」も、飲酒ではなく、酒を人に飲ませて酔わせてからかったり、ふざけたりして弄んだ者が落ちる地獄です。いつの時代でも同じようなことをしてるということです。

5、大叫喚地獄・・殺生、窃盗、邪淫、飲酒、妄語の罪
 叫喚地獄の下にある地獄です。苦しみの内容は叫喚地獄と同じですが、前の四つの地獄とその周りの十六の小地獄すべの苦しみを合わせた十倍の苦しみを受けます。
 人間世界の八百年が化楽天の一日で、六欲天の第五天である化楽天の寿命は八千歳です。この天の一生がこの地獄の一日で、この地獄に落ちた罪人の寿命は八千歳です。これを人間世界の年月に直すと六千八百二十一兆千二百億年になります。
 この地獄の獄卒は、罪人に「妄語の罪人が落ちる地獄の炎は、大海を焼き尽くすことができるほど強力である。妄語の罪人など、草木の薪を焼くようなものである。」と説くのです。
 この地獄に付随する小地獄には次の様なものがあります。
受鋒苦(じゅぶく)という地獄では、熱せられた鉄針で口と舌を一緒に突き刺され、泣き叫ぶこともできません。
 受無辺苦という地獄では、獄卒が熱した鉗子で罪人の舌を引き抜きます。引き抜かれた舌はまた生えてきて、また抜かれます。眼球も同じように抜かれます。また剃刀のように薄く鋭い刀で身体を削られます。このような様々な苦しみを受けるのは、どれもが妄語の報いです(『正法念経』からの引用です)。

解説
 この地獄は先の「叫喚地獄」に大が付きます。加わる罪は妄語です。妄語とは、有りもしないことを言うということです。ここでは「受鋒苦」と「受無辺苦」という小地獄が有名です。いずれも罪の内容は書かれていませんが、受ける罰の内容が、「受鋒苦」では熱せられた鉄の針で口と舌を一緒につきぬかれてしゃべれない、「受無辺苦」は舌を抜かれるというものです。「嘘をつくと閻魔さんに舌を抜かれる」と言いますが、正確には閻魔ではなくこの地獄の獄卒に抜かれるのです。引き抜かれた舌はまたすぐに生えてきて、また抜かれるということを繰り返しますが、舌だけではなくて眼球も同じように抜かれます。妄語の罪でですから、舌だけで十分に思えます。このことから、この刑は略されて説かれてきたのでしょう。
 よく似た罪に、時と場合によって言葉を変える「両舌」、誇張して伝える「綺語」があります。これらをまとめて「嘘(うそ)」という言い方もしますが、「うそ」はそれだけで罪とは言えません。それを口にするこちらの気持ちに悪意があるかどうかです。相手を思いやっての善意からの「うそ」もあります。「嘘も方便」という言い方がありますが、本来は「有相方便」といい、思いやりや悪意といった本来形の無いものが、形をとってあらわされることを「方便」と言います。ですから「方便」そのものに善悪はないのです。逆に、たとえ真実であっても、悪意を込めて語られる時には「善」とは言えません。悪をもって語られた言葉は災いを招きますし、善意をもって語られた言葉は優しさをもたらします。ですから仏教では「うそ」とは言わずに「妄語」と意味を絞って罪とするのです。






徳法寺 〒921-8031 金沢市野町2丁目32-4 © Copyright 2013 Tokuhouji. All Rights Reserved.