|『正信偈』学習会|仏教入門講座
即横超截五惡趣5 地獄3 平成28年6月20日(月) 
- 2016年7月30日
6、焦熱地獄(炎熱地獄)・・殺生、窃盗、邪淫、飲酒、妄語、邪見の罪
 大叫喚地獄の下にある地獄です。獄卒は罪人を捉えて熱した鉄の上に寝かせ、仰向けやうつ伏せにして焼くと、巨大な熱せられた鉄の棒で叩き築き、肉団子のようにしてしまいます。あるいは、極めて熱い大鉄鍋の上に置いて猛炎で炙り左右に転がして表も裏も焼き上げます。あるいは、大鉄串を肛門から刺し入れて頭まで突き抜いて回しながら炙り焼き、身体中の毛穴に至るまでの穴という穴すべてから炎が噴き出すようにします。あるいは、熱せられた釜に入れ、または鉄楼に置いて、猛盛なる鉄火によって骨髄まで焼き尽くすのです(『瑜伽論』と『大智度論』からの引用です)。この地獄の炎を豆粒ほどでもこの世界に持ってくるならば、たちどころに世界は焼き尽くされてしまいます。罪人の身体などは若芽のように柔らかなものですから、長い間焼かれることなど、この地獄に落ちた人が、この上にある五つの地獄の火を見たならば、霜雪のように冷たいものにしか思えないほどです(『正法念経』からの引用です)。
 人間世界の千六百年が六欲天の第六天である他化天の一日で、他化天の寿命は一万六千歳です。この天の一生がこの地獄の一日で、この地獄に落ちた罪人の寿命も一万六千歳です。これを人間世界の年月に直すと五京四千五百六十八兆九千六百億年になります。
 焦熱地獄に付随する小地獄には次の様なものがあります。
 「分荼離迦(分陀利華)」という地獄では、罪人が全身を芥子粒ほどの隙間もないほどに火炎に包まれます。すると、この地獄にいる者が「あなた早くこちらに来なさい。ここに白蓮華が咲く池があります。水も飲めますし、林の木陰で涼むこともできます。」と声をかけてきます。これを聞いて走ってそこに向かっていくと、道に穴が開いていて中には火が燃え盛っています。罪人はこの穴に落ちて全身が焼き尽くされてしまうのです。焼け終わるとまた生まれ変わり再び焼かれます。のどの渇きが止むことがないので、懸命に池に向かって進みます。ようやく池にたどり着いてみると、白蓮華が高さ五百由旬の高さにまで炎を上げます。罪人はこの炎に焼かれ死に、また生まれ変わります。自ら餓死を選び天に生まれようとした者や、他人に誤った教えを説いた者がこの地獄に落ちます。
 「闇火風」という地獄もあります。この地獄に落ちた罪人は、強風に吹かれて空中を漂い続けます。車輪のような速さで回転し、その姿を見ることはできません。回転が止まると刃のような風が吹き、全身が砂のようにバラバラにされてまき散らされてしまいます。すると生まれ変わり、またバラバラにされるということを繰り返します。この地獄には「一切の諸法には有常なるものと無常なるものがあり、この身は無常であるが、世界を構成するという四大元素(地・水・火・風)は有常である。」という邪見を持った者が落ちます。ほかの小地獄についても経の中に説かれています(『正法念経』からの引用です)。

 解説
 この地獄には邪見の罪が加わります。邪見の内容は小地獄から見て取れます。まず「分茶離迦」(分陀利華)という小地獄ですが、この名前は親鸞聖人が書かれた『正信偈』にも「是人名分陀利華」と出てきます。これは、清浄な白い蓮華(インドの言葉でプンダリーカ、妙法蓮華とも訳します)という意味です。『正信偈』では、念仏の教えに帰依した者を、仏が「分陀利華」と褒め称えるという例えに使われていますが、ここではこの地獄に落ちたものを惑わせる偽りの蓮です。燃え盛る炎の中で苦しむ罪人の耳に前に「あなた早くこちらに来なさい。ここに白蓮華が咲く池があります。水も飲めますし、林の木陰で涼むこともできます」という声が聞こえるというのです。そこに至るには厳しい道のりが待っているうえに、やっとたどり着くと安らかな場所などなく、さらに激しい炎に焼かれるというのです。これは誤った教えに導かれた者の歩みを例えているのでしょう。この地獄に落ちるものは、他人に誤った教えを説いたものであると言いますから、自らの教えで苦しんだ者の人生を自分も歩むことになるということです。さらにこの地獄に落ちる者として「自ら餓死を選び天に生まれようとした者」とあります。これは仏教と共にバラモン教と対峙した六師外道と呼ばれる教えの中のアージーヴィカ教やジャイナ教が自らの意志で絶食して死に至ることを理想としていたためである思われます。仏教でもこの影響を受けて生きながらミイラになるという即身成仏という行法が生まれました。すべての煩悩を自らの意志で絶つということです。これは間違った教えで人を導いたというのではなく、誤った教えを信じたために自らの命を絶つという形で安らぎからは程遠い結果に陥ってしまった者です。一見筋が通っているように思われる教えであっても、その教えによってその人の人生や周りの人たちの人生が幸せとはかけ離れたものになっていくという教えは今でも少なくありません。本人は幸せであると思い込んでいることもあるのですが、周りの眼からはとてもそのように思えないということもあります。信じた者の心を麻痺させるような教えです。大乗仏教で「自利利他円満」という言葉がありますが、優れた教えは自分も周りもすべて欠けることなく幸せにするものです。
 もう一つの「闇火風」という小地獄ですが、これは漆黒の炎の中を地面に落ちることなく回転しながら飛ばされ続けるという地獄です。この地獄に落ちる者が信じているという「一切の諸法には有常なるものと無常なるものがあり、この身は無常であるが、世界を構成するという四大元素(地・水・火・風)は有常である。」とは、六師外道の一人であるアジタ・ケーサカンバリンが説いた教えです。この説は同じく六師外道の一人であるバクダ・カッチャーヤナの七元素説や、アージーヴィカ教の十二元素説に引き継がれ、ジャイナ教にも影響を与えました。大乗仏教でも、この四つに空を加えた五大という考え方が入ってきます(真言密教ではこれを五輪と言います)。いずれにしてもこの世界を構成する元素を想定して、変化し続けているように見える世界も、元素レベルでいえば何も変化していないという考え方です。現代でいえば素粒子理論に通じる考え方ですから、科学的な考え方であると言えます。これが科学ではないのは、そこに善悪の価値観が入るからです。生まれてくるように見えるものも、死んでいくようにみえるものも、元素レベルでいえば何も生まれておらず何も死んではいないのだから、人間の持つ善悪の基準も存在しないということです。このような考え方を持ってしまうと、生きていることの意味さえなくなってしまいます。このような状態を、上下左右も分からないまま空中を漂い続けている地獄として表現したのでしょう。


7、大焦熱地獄・・殺生、窃盗、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯浄戒尼の罪
 焦熱地獄の下にある地獄です。苦しみの内容は焦熱地獄と同じです(『大智度論』と『瑜伽論』からの引用です)。ただし、前の六つの地獄とその周りの十六の小地獄すべの苦しみを合わせた苦しみの、さらに十倍もの苦しみを受けることになります。
 この地獄に落ちた罪人の寿命は半中劫という長さで、これは人の三千二百年を一日として三万二千年をさらに一日とした三万二千歳となり、これを人間世界の年月に直すと四十三京六千五百五十一兆六千八百億年になります。
 この地獄に落ちる罪人は、まず中陰で大地獄の姿を覗き見ることになります。そこには恐ろしい顔をして燃え盛る手足を持ち、身体をねじり、肘をいからせている閻羅人がいます。罪人はその姿を見て恐怖に慄きます。閻羅人の声は雷が吼えるような恐ろしいものなので、罪人はさらに恐怖に駆られるのです。手には鋭い刀を持ち、大きなお腹は黒雲のような色をしています。眼は炎のように赤く牙は鋒のように鋭く尖っています。臂と手は長く、身体を揺り動かすたびに全身の筋肉が盛り上がります。このような恐ろしい姿の閻羅人が罪人の咽を摑まえます。そして六十八百千由旬も離れた海の外辺にまで連れていきます。さらにそこからさらに三十六億由旬も連れ去ってから、今度は下に向かって十億由旬も降りていきます。この時受ける風はいかなる強風も及ばないほどです。罪人はこのような強風に会いながらようやく目的地に着きます。ここで閻魔羅王によって犯した数々の罪を責められるのです。閻魔羅王の叱責が終わると、罪人はようやく悪業の縄で縛られて大焦熱地獄に向かうことになります。
 遠くに大焦熱地獄の大炎熱が大地を覆っているさまが見えてくると、この地獄に落ちている罪人たちの泣き叫ぶ声が聞こえてきます。これだけで、悲しみ愁い恐れなどの感情に襲われ、無量の苦しみを受けるのです。このように無量百千万億に及ぶ無数年月の間、泣き叫ぶ声を聞かされるので、恐怖の心はさらに十倍にもなるのです。これを見て閻羅人は「お前は地獄からの声を聞いただけで、すでにこれほどまでに恐れおののいている。おまえを地獄の火で焼くことは、乾ききった薪草を焼くよう容易いことであることを想像してみるがいい。しかし、火で焼くのはお前の身体ではない。悪業が焼かれるのである。身体は火で焼かれれば無くなってしまうが、悪業はどれだけ焼かれても無くなることはない。」と告げるのです。
 このように罪人を叱責し終えると地獄に連れていきます。そこには五百由旬の高さの火柱が上がっています。その大きさは二百由旬にも及びます。これほどまでに炎熱が燃え盛っているのはこの地獄に落ちた罪人の悪業によるものです。その火柱の中に落とされるのは、まるで険しい山の断崖から突き落とされるようなものです(『正法念経』からの引用です)。
 大焦熱地獄付随する小地獄には次の様なものがあります。
 その一つには大地にも空間にも全く隙間なく炎が満ちています。針の孔ほども燃えていないところはありません。罪人はこの中で大声をあげて泣き叫びますが、無量億年の間、常に焼かれ続けるのです。仏教に帰依し戒律を守っている女性信者を犯した者がこの地獄に落ちます。
 「普受一切苦悩」という地獄もあります。この地獄に落ちた罪人は、炎の刀で全身の皮膚を、肉を削らないようにはがされます。そして、熱せられた地面に身体と皮膚を並べて置かれると、火で焼かれ、沸騰した溶けた鉄を濯がれるのです。これを無量億千年繰り返されます。出家した僧侶であるにもかかわらず、女性信者を酒や贈り物で誑かして戒律を破らせ淫行した者がこの地獄に落ちます。ほかの小地獄についても経の中に説かれています(『正法念経』からの引用です)。

解説
 この地獄には犯浄戒尼の罪が加わります。戒律を守っている女性を犯すというとこです。ここでは、地獄に行くまでの説明が長くなっています。まず閻羅人の恐ろしい姿の説明から入り、閻魔大王の所に行くまでの長い道のりが書かれた後に、これから自分の落ちる地獄の様子を眺めさせられて脅されるのです。前もってその恐ろしさを教えられてしまうと、恐怖心はさらに増長してしまうのです。自分の前の人が怯えている様子を見てしまうと、それだけで足がすくんでしまうものです。
 この地獄に落ちる者の罪状も小地獄に書かれています。一つは女性信者を強姦した者が落ちる地獄、もう一つは酒や贈り物で女性信者自らに戒律を破らせて関係を持った者が落ちる地獄です。このような地獄が説かれているということは、実際に起こっていたということでしょう。そしてこの罪が邪見よりも重いものとして扱われているというところには、女性信者が強姦されたり誑かされたりしているさまを見た当時の僧侶たちの思いが表されています。






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