|『正信偈』学習会|仏教入門講座
印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓應機  平成29年10月17日(火)
- 2017年12月26日
 ここから、正信偈の後半になります。「七高僧」と呼ばれる、念仏の教えを大乗の教えとして成就させてくださった高僧の方々の徳を、親鸞聖人が讃嘆なさっています。その七人の方々が「印度・西天・中夏・日域」におられたということです。「印度」は龍樹菩薩ですし「西天」とは今の中央アジアになりますが、天親菩薩のいらっしゃった場所です。このお二人は「菩薩」と呼ばれるほどですから、正に別格の方々になります。「論家」とは経典の大意を論じた方という意味で、このお二人の論は経典と同格に扱われています。つまり、お釈迦様と同格の方々ということになります。「中夏」とは親鸞聖人の時代に中国を指した言い方で「曇鸞・道綽・善導」の三人がいらっしゃいます。「日域」は日本のことで「源信・源空」のお二人です。
 これら七人の高僧方が何をなさったかという内容が「大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす」になります。「大聖」とはお釈迦様のことです。お釈迦様がこの世にお生まれになられた正しい意味を「顕」かにしたというのですが、この「顕」とは「隠れたものを明らかにする」という意味です。その隠れていたものというのが次です。ここの「如来」とは阿弥陀如来のことです。ですから「如来の本誓」とは『仏説無量寿経』に説かれている本願を意味します。つまり、お釈迦様がこの世にお生まれになった本当の意味は、阿弥陀如来の本願が機に応じているということである、ということを私たちにとたえるということであるといことです。このことを明らかにしたのが、この七人の方々になります。
 これは前段の「難中之難」というところを受けています。長い仏教の歴史の中で、南無阿弥陀仏が登場するのは大乗仏教の中からです。大乗仏教の中でも、印度ではほとんど取り上げられることはありませんでした。中央アジアに伝わって、ようやく経典が整理されますが、あくまでも傍流でしかありませんでした。それが、仏教の主流になるのは日本に来てからです。正しく隠れていたのです。
 それまでの仏教が間違っていたということではありません。それもで、時代と共に様々な流れに分かれていった原因が「機」という問題なのです。善導の『般舟讃』に「仏教多門にして八万四なり、正しく衆生の機、不同なるがためなり」とありますが「機」とは私たち一人一人の性質です。お釈迦様の教えは「対機説法」といわれるように、その人に合わせて説かれていました。つまり、万人に当てはまるような教えではなく、その人だけのための教えなのです。ですから、長く仏教では、その人ひとりのための救いを各々が求めていくというものでした。ですから、果てしなく枝分かれしていったのです。
 
では、ここでいう「機に応ぜる」とはどのような「機」なのでしょうか。仏教が果てしなく細分化していく中でも、救うことのできない人たちがいました。それが「難治(難化)の機」といわれる人たちです。『涅槃経』では「謗大乗・五逆罪・一闡提」とされ『仏説無量寿経』では「唯除五逆誹謗正法」また『如来会』では「唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人」とされています。「謗大乗」や「誹謗正法」とは大乗仏教を非難中傷する者のことです。「五逆」とは

 1、ことさらに思いて父を殺す。
 2、ことさらに思いて母を殺す。
 3、ことさらに思いて羅漢を殺す。
 4、倒見して和合僧を破す。
 5、悪心をもって仏身より血を出だす。

または
 1、母・無学尼を汚す。
 2、住定菩薩を殺す。
 3、有学・無学を殺す。
 4、僧の和合縁を奪う。
 5、卒都波を破壊する。

または
 1、塔を破壊し経蔵を焚焼する、および三宝の財物を盗用する。
 2、三乗の法を謗りて聖教にあらずと言うて、障破留難し、隠蔽覆蔵する。
 3、 一切出家の人、もしは戒・無戒・破戒のものを打罵し呵責して、過を説き禁閉し、還俗せしめ、駆使債調し断命せしむる。
 4、父を殺し、母を殺し、仏身より血を出だし、和合僧を破し、阿羅漢を殺すなり。
 5、謗じて因果なく、長夜に常に十不善業を行ずるなり。

とされています。この中の「十不善業」とは「殺生、不与取、邪淫、妄語、綺語、粗悪語、離間語、貪欲、瞋恚、邪見」です。「一闡提」とは、仏になる可能性が全くない者のことです。大乗仏教では、すべての衆生を救うことが目的となっていますから、この「難治(難化)の機」といわれる人たちをいかにして救うかが問題になってきました。
 この問題をお釈迦様が私に残していかれた宿題としてとらえ、真剣に考えてこられた方々の代表が「七高僧」なのです。そして、探り当てた答えが「如来本誓」です。ですから、ここにある「應機」とは「難治(難化)の機」のことです。「難治(難化)の機」の者を救うためにお釈迦様はこの世に生まれてこられたということです。そして「難治(難化)の機」をも救うことのできる教えであればこそ、私も救われるのであるというのが親鸞聖人です。






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