善導大師は道綽禅師の元で30年間修業された方です。日本では聖徳太子が遣隋使を派遣し、本格的に仏教が伝わってきたころです。当時中国でも玄奘三蔵によって大量の経典がもたらされ、かつてないほど仏教が盛んになっていました。多くの経典が解釈される中、特に注目されていた経典の一つが『仏説観無量寿経』でした。「善導獨明佛正意」とは「善導ただ一人が佛の正意を明らかにされてた」ということですが、これは善導大師ただ一人が『仏説観無量寿経』の仏意を明らかにしたという意味です。
親鸞聖人の師である法然上人は、善導大師が『仏説観無量寿経』を注釈した『観経疏』(四帖疏ともいう。「玄義分」「序分義」「定善義」「散善義」の)四巻からなる)によって浄土宗を建立しました。法然は、文治六年(1190)東大寺で「浄土三部経」を講義した折「ここに善導和尚の往生浄土宗においては、経論ありと雖も習学する人なく、疏釈ありと雖も讃仰する倫もなし。然れば則ち相承血脈の法有ること無し」と述べています。そして浄土宗の師資相承血脈として、菩提流支・恵寵・道場・曇鸞・法上・道綽・善導・懐感・少康の九祖を掲げています。法然の浄土教は道綽善導流浄土教と言われており、これ以外に中国浄土教には慧遠流浄土教と慈愍流浄土教があります。
慧遠流浄土教とは、廬山浄影寺の慧遠の流れをくむ念仏です。慧遠は儒教や道教を学んでいましたが、道安の『般若経』講義を聞き「儒道九流はみな糠粃なるのみ」と歎息すると、直ちに仏門に入りました。廬山の東林寺で多くの弟子を育て『般舟三昧経』に基づく念仏を行いました。これは口称念仏ではなく、戒を完全に保ち、一人で閑静なところにとどまり、千億万の仏土を経たところにある極楽で多くの菩薩たちにかこまれて経を説いている阿弥陀仏に心を集中するという般舟三昧の念仏です。これは、阿弥陀仏を実体的に見るのではなく、一切を空と見る智慧によって仏を見るというものです。これによりすべての執著や煩悩を断ち切るという念仏は、この後、中国浄土教発展の源流となり、曇鸞・道綽の念仏の流れとは直接つながらないものの、唐代・宋代には慧遠を敬慕する念仏結社が多数作られることになります。
慈愍流浄土教とは、慈愍三蔵の流れをくむ念仏です。慈愍は海路インドに渡り聖迹を巡礼した後、ガンダーラ国で観音の霊告を受けて浄土教に帰入したとされています。帰国後『略諸経論念仏法門往生浄土集』三巻(『浄土慈悲集』、または『往生浄土集』)を著したとされますが、上巻のみしか現存していません。同時代の禅宗者を批判し、禅と念仏を併修する念仏禅を説きました。後の念仏者である承遠、法照、延寿、元照などにも多大な影響を与え、現在に至るまで中国浄土教の主流となっています。
