|『正信偈』学習会|仏教入門講座
專雑執心判淺深 報化二土正辨立  令和2年10月20日(火)
- 2021年12月13日
 まず「專雑執心判淺深」です。これは「専」の「執心」と「雑」の「執心」を「深」と「浅」に判けたということです。「専」を親鸞聖人は『一念多念文意』に「専修は、本願のみなをふたごころなくもつぱら修するなり。修は、こころの定まらぬをつくろひなおし、おこなふなり。専はもつぱらといふ、一といふなり。もつぱらといふは、余善・他仏にうつるこころなきをいふなり」とおっしゃっています。ですから「専」は本願念仏だけを行うということです。「雑」を親鸞聖人は『教行信証』に「「雑」の言は、人天・菩薩等の解行雑せるがゆえに「雑」と曰えり」とおっしゃっています。ですから「雑」は「余善・他仏」をも心にかけるということであり、それは「人天・菩薩等の解行」が混ざったものであるということです。また、親鸞聖人は『浄土文類聚鈔』に「「執」といふは心堅牢にして移らず、「持」といふは不散不失に名づく。ゆゑに「不乱」といへり。執持はすなはち一心なり。一心はすなはち信心なり」とおっしゃっています。ですから「執心」は、定めて一心に信ずることです。本願念仏だけを「執心」するものは「深」く本願念仏に「余善・他仏」や「人天・菩薩等の解行」を混ぜて「執心」するものは「浅」と源信は判じたというのです。
 親鸞聖人のいらっしゃった比叡山延暦寺は『法華経』を根本経典とする中国天台宗の流れを汲んた日本天台宗です。ただし、平安時代の仏教に最も求められたのは、疫病退散・怨霊退散でしたから、延暦寺もこれに応えるために密教化していきました。これに抵抗したのが源信の師である良源です。天台宗は仏教の教義としては完成度の高いものでしたが実践が弱かったため中国では衰退してしまいました。そこで良源は天台宗の実践として念仏を重視したのです。この為、源信の頃の延暦寺は、朝は「南無妙法蓮華経」とお題目を唱え、夜は「南無阿弥陀仏」と念仏を称えていました。これを源信は問題としたのです。
 これが「報化二土正辨立」につながります。「深」い「執心」のものは「報土」に「浅」い「執心」のものは「化土」に生まれると「正」しく「弁立」したというのです。浄土には「報土」と「化土」の二種類があるという事です。
 中国天台宗では阿弥陀仏の極楽浄土は低く見られていました。これは、誰で行くことができる浄土は位が低く、選ばれた者だけが受ける浄土こそがより優れているという発想です。高校や大学を考えると分かりやすいでしょう。ところが、道綽や善導は、すべての者を救いとりたいという仏の願いに最もかなった浄土が極楽浄土であると反論したのです。
 これを承けて源信は『往生要集』に「衆生の起行にすでに千殊あれば、往生して土を見ることまた万別あるなり。もしこの解を作さば、諸経論のなかに、あるいは判じて報となし、あるいは判じて化となすこと、みな妨難なし。ただ諸仏の修行、つぶさに報化の二土を感ずることを知れ。」と浄土に「報」と「化」のふたつがあることを明らかにしました。さらに「問ふ。『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方にこの閻浮提を去ること十二億那由他して懈慢界あり。国土快楽にして、倡妓楽を作り、衣被・服飾・香華をもつて荘厳せり。七宝転開の床あり。目を挙げて東を視れば、宝床随ひて転ず。北を視、西を視、南を視るにもまたかくのごとく転ず。前後に意を発せる衆生の、阿弥陀仏国に生れんと欲するもの、みな深く懈慢国土に着して、前進して、阿弥陀国に生るることあたはず。億千万の衆、時に一人ありてよく阿弥陀仏の国に生ず」と。以上 この『経』をもつて准ずるに、生ずることを得べきこと難し。答ふ。『群疑論』に、善導和尚の前の文を引きて、この難を釈して、またみづから助成していはく、「この『経』の下の文にのたまはく「なにをもつてのゆゑに。みな懈慢によりて執心牢固ならず」と。ここをもつて知りぬ、雑修のものは執心不牢の人となすなり。ゆゑに懈慢国に生ず。もし雑修せずして、もつぱらにしてこの業を行ぜば、これすなはち執心牢固にして、さだめて極楽国に生ぜん。乃至 また報の浄土に生るるものはきはめて少なし。化の浄土のなかに生るるもの少なからず。ゆゑに経に別に説けり。実には相違せず」と」と、多くの念仏者が「化」の浄土に生まれることを示したのです。このことを親鸞聖人は源信和讃に「報の浄土の往生は おほからずとぞあらはせる 化土に生るる衆生をば すくなからずとをしへたり」「本師源信和尚は 懐感禅師の釈により 処胎経をひらきてぞ 懈慢界をばあらわせる」「専修のひとをほむるには 千無一失とをしへたり 雑修のひとをきらふには 万不一生とのべたまふ」と讃えています。
 「化」の浄土を「懈慢界」とおっしゃっていますが、これ以外にも「胎生」「胎宮」「辺地」「疑城」などとも例えられます。『仏説無量寿経』には「そのときに慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、「世尊、なんの因、なんの縁ありてか、かの国の人民、胎生・化生なる」と。仏、慈氏に告げたまはく、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。もし衆生ありて、あきらかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝の華中において自然に化生し、跏趺して坐し、須臾のあひだに身相・光明・智慧・功徳、もろもろの菩薩のごとく具足し成就せん。」とあります。どちらかと言えば、源信はこの「化」の浄土を否定的に扱っているようにも見えますが、親鸞聖人はこれを「仮」の浄土と言い換えて肯定的に受け止めました。例えば『教行信証』「化身土巻」には「仮の仏土とは、下にありて知るべし。すでにもつて真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。かるがゆえに知りぬ、報仏土なりといふことを。良に仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。これを「方便化身・化土」と名づく。」とおっしゃり『御消息』では「仏恩のふかきことは、懈慢辺地に往生し、疑城胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、不可思議のたのしみにあふことにて候へ。」とおっしゃっています。いずれも「報仏土」であり、この「仮」の浄土があることで信ずることができない者を含めてすべての者が救われるというのです。信じなければ救られないということであれば、実際にはほとんどの者が救られる事はないのです。それでも構わないというところで、親鸞聖人は救われたというのです。ここに、一切衆生を救うという大乗仏教の精神が浄土の教えによって成就されたのです。






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