1. シャカ族
シャカ族の人種に関しては諸説あるが、文化的にはアーリア系であった形跡が残っている。現在ネパール領内であるルンビニー県で使われている言語はアバディ語であるが、これはサンスクリット語で「最果ての地」を意味しており、この地がアーリア系文化圏であることを示している。また、原始仏典にある釈迦とアンバッタというバラモンの青年との対話も、このことを現している。
「アンバッタよ。おんみはいかなる氏姓の者なのですか?」「きみゴータマよ。わたしはカンハーヤナという氏姓の者なのです。」「アンバッタよ。あなたの母方および父方の昔からの名および氏姓を憶いおこしてみますと、シャカ族は主人の子孫であり、おんみはシャカ族の家僕女の子孫である。シャカ族はオッカーカ王を祖先とみなしています。昔オッカーカ王は寵愛した妃の王子に王位を譲ろうと欲して、年長の王子たち、すなわちオッカームカ、カランドゥ、ハッティニーヤ、シーニプラの四人を国外に放逐した。かれらは国外に放逐されて、雪山(ヒマーラヤ)の麓にある湖水の畔に、サーカ樹の大きな森のあるところに住居を定めた。かれらは血統の乱れることを恐れて、自分たちの妹たちを配偶とした。そこでオッカーカ王は随順している大臣たちにたずねた、「いま王子たちはいったいどこに住んでいるのか?」「王さまよ。かれらは雪山の麓にある湖水の畔にサーカ樹の大きな森のあるところにいま住んでおられます。かれらは血統の乱れることを恐れて、自分らの妹たちを配偶としました。」そこでオッカーカ王は喜びのことばを発した。「王子たちはじつに能力がある(シャキャ)。王子たちは最上の能力がある」と。 それ以来、かれらはシャカ族として名が知られている。かれらこそがシャカ族の先祖である。
ここにあるオッカーカ王(イクシュヴァーク王、甘蔗王)とは『リグ・ヴェーダ』にも登場する英雄王で、話しをするとその口からたいまつの光のような光線が射したとされている。シャカ族が従属していたコーサラ国もこの王の末裔を自称している。釈迦とアンバッタとの対話には、次のようなシャカ族の特徴が書かれている。
「ゴータマよ。シャカ族の生まれの人々は粗暴である。シャカ族の生まれの人々は粗野である。シャカ族の生まれの人々は軽はずみである。シャカ族の人々は狂暴である。隷属してる者でありながら、バラモン達たちを崇めず、重んぜず、敬わず、供養せず、尊ばない。これらのシャカ族が、隷属してる者でありながら、バラモン達たちを崇めず、重んぜず、敬わず、供養せず、尊ばないということは、適当でなく、ふさわしくない」と。青年バラモン・アンバッタはこのように最初に、シャカ族に対して貶(けな)したことばをなげかけた。
四人の王子が教えを請うたカピラ・ゴータマ仙人の名にちなんで、ゴータマを姓とし、町の名をカピラヴァストゥとしたとも伝えられているが、これは後世になってから作られたようである。シャカ族の都であったカピラヴァストゥには公会堂があったことから、シャカ族は王政ではなくサンガと呼ばれる共和制であったとされている。経典に「繁栄と大いなる快楽とに恵まれた種族」や「シャカ族の自尊」とも書かれていることから、シャカ族は勢力こそ小さかったものの、進歩的改革的な部族であり、高い生活レベルと自尊心を持っていたと思われる。シャカ族の領地は東西八十キロ、南北六十キロほどで、石川県の面積に相当する。
